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【ゆかりの地巡り】初めて江戸城を築いた太田道灌ゆかりの越生町

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こんにちは。

埼玉県越生町といえば”越生梅林”で有名な地。

関東三大梅林(茨城県 水戸偕楽園/神奈川県 曽我梅林)の一つで、約2ヘクタールの園内に約1,000本の梅が咲き誇ります。

今回は、昔から越生町にゆかりのある室町時代の武将”太田道灌”に、歴史探訪するため「龍穏寺」へ参拝したのでご紹介します。

太田道灌ゆかりの地

  • 山吹の里 歴史公園(道灌が歌道を志す故地)
  • 建康寺(太田道真退隠地)
  • 龍穏寺(太田父子により再興された寺院)
  • 山枝庵(太田道灌 生誕地)

龍穏寺(総門)

古代から日本では、魔力や災厄を防ぐ力があると信じられている朱色に纏った龍穏寺の大きな総門。

越生の山中や杉林に囲まれた緑の中でも際立っています。

杉並木や苔生した石畳など辺りの景観とマッチし、神秘的な雰囲気が漂っています。

階下には仏法を守護する四天王(持国天、増長天、広目天、多聞天(=毘沙門天))は金網越しに観賞することができますので、ぜひ眺めてみてください。

 天保十三年(一八四二)、当寺五十六世道海大信が再建した。入母屋造、銅瓦葺きで、階下には仏法を守護する四天王が、階上には観音菩薩、八大神将と十六羅漢が祀られ、格天井は花鳥風月で彩られている。

大工棟染は和田村(現越生町西和田)の石井熊蔵ら、彫刻は上州山之神村(現群馬県太田市)の岸亦八である。山号「長昌山」の扁額は、同時期に再建された表門(総門)の「龍穏寺」と同じく、名筆大乗愚禅の墨跡である。

 天保十二年から十五年にかけて、龍穏寺の復興を成し遂げた道海は、大本山永平寺貫首に昇山し、弘化元年(一八四四)に示寂した。

 なお、門の正面に掛かる「安禅不必須山水」「心頭滅却頭火自涼」の揮毫は、当寺に書院を構えていた東宮御所書道御進講、桑原翠邦(一九〇六~九五)による。

龍穏寺

注意事項

苔生した石畳は少し傾斜となっており、滑りやすいので注意してください。

また、落ち葉や落ち枝など足場にも気を付けてください。

江戸城 外濠の石

山門を潜ると、なんと埼玉県に江戸城外濠の石が置いてあります。

石は苔生して自然にの中に溶け込んでいる感じなので、見逃さないようにしましょう。

この石は、江戸城外濠に架かる神田橋橋台(きょうだい)に使用されたもので、首都高速道路の開設の際に取り外され、その一部が龍穏寺に保存されています。

江戸城外濠の石

この石は、江戸城外濠に架かる神田橋橋台に使用されたものを、首都高速道開設の際、間組により取りはずされ、日高町棆木 新井巧二氏の好意よって当山に寄贈されたもの。

龍穏寺

龍ヶ谷熊野神社

 当社は、明応元年(一四九二)に龍穏寺三世の泰叟妙康が、紀州熊野本宮大社より分霊して寺鎮守としたのが起源とされる。江戸時代は格式が高く村人の参拝は許されなかったが、神仏分離令により村鎮守となり、明治五年(一八七二)に龍ヶ谷村村社となった。

 現在の社殿は、天保十五年(一八四四)龍穏寺五十六世道海沙門による再建である。入母屋造・銅板葺きで、本殿と拝殿を「石の間」と呼ばれる幣殿が繋ぐ権現造である。

龍穏寺

瀧ヶ谷熊野神社拝殿(背面の彫刻)

 当神社の特筆は壁画の彫刻である。彫師は群馬県山神村(現太田市)の名工、岸亦八による彫刻である。厚さ十センチ程の樫木に立体感あふれ、今にも飛び出して来そうな見事な彫刻である。本殿の背面にある古事記の神話を題材にした天照大神が天の岩屋戸から出た瞬間を彫った物である。その左右にも神話が物語として見事に彫られている。その脇には龍が天から降りて来る様子が怖い程見事に表現されている。

龍穏寺

県道61号線 「龍穏寺」の看板

県道61号線から目印となる「龍穏寺」の看板を曲理、龍ヶ谷川沿いを登っていきます。

こちら道標から約2Kmほどで「龍穏寺」の第一駐車場が見えてきます。

第一駐車場


第二駐車場&トイレ

第二駐車場道挟んだ向かいに公共トイレが設置されています。


【住所】 〒350-0425 埼玉県入間郡越生町龍ケ谷452
【電話番号】 049-292-3855
【駐車場】無料の第一・第二駐車場に計100台くらい駐車可
【トイレ】公共トイレあり

『龍穏寺』の位置は、Googleマップを貼り置きますのでぜひ参考にしてください。

境内には、埼玉県川越出身の彫刻家であり、日展評議員や東京学芸大学名誉教授を務められた橋本次郎氏(1919-1997年)による「太田道灌公像」が鎮座。

太田道灌の出身地(出生地)には諸説あり、「山枝庵(さんしあん)」などが誕生の地と伝えられています。

こちらの寺院では、”太田道灌を大河ドラマに”とスローガンを掲げた横断幕が掲げてあります。

納経所に横には、ドラマ化に向けた署名活動も推進していますので、賛同される方は是非。

太田道灌とは

室町時代後期(1457年頃)に上杉氏の家宰として、最初に江戸城の縄張り(設計)し、築いたとして有名。

埼玉県内では、河越城(初雁城)や岩槻城を築いた、太田道真(おおた みちざね)・道灌(どうかん)父子。

優れた武将であるだけでなく、和歌や学問にも通じた人物として知られている。


山枝庵とは

大字龍ヶ谷字山枝庵(さんしあん)の山林内に、斜面を削って数段の平地を造った跡がのこっており、地元ではここが太田道灌誕生の地であると伝えています。


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